紀和駅
・・続きです
昭和8年~現在の和歌山市の大字名。中之島尋常高等小学校は,昭和8年に市立移管,同16年中之島国民学校となり,同22年には中之島小学校と改称。第2次大戦後期の昭和20年,空襲の激化に伴い家屋の強制疎開が行われ,地域の一部が被災。農産加工・食品製造・化学工業などの工場が設立され,各種商業の隆盛もみられる。昭和27~28年に字向ノ芝に県営野球場および陸上競技場がつくられ,同38年紀三井寺地区に移ったのち,同39年には県立体育館が建設された。
国鉄和歌山駅は,同43年紀和駅と改称。
明治31年に紀和鉄道が開通したとき、始発駅は紀和鉄道和歌山駅で現在の紀和駅です。南海電鉄の和歌山市駅までの開通を機に明治後期から大正期にかけ中之島(村)の商工業は隆盛の一途をたどったそうです。当時の和歌山駅の大正元年の年間利用客数は乗車17万人余・降車16万人余,貨物の発送3万t余・到着2万t余,1日の運転本数上下各9本とあります。当時、操車場があり貨物列車の引き込み線もあったはずです。子供のころ、おやじに連れられて貨物の荷下ろしを見に行ったのを覚えています。